本性論③

恩柔・謙遜・ために生きようとする心

 


主体意識
①主体は、
対象に対して関心をもたなければならない。
関心をもたないとは、
責任をもたないということ。
不信すると、従わなくなる。


②主体は
対象を愛さなくてはならない。
能動的に愛する。


③主体は
適切な権威をもたなくてはならない。
「愛を内包した権威」 
有り難さを感じるかどうか
神は、権威の神である。

 


連体意識とは、
対象意識(神への謙遜さ)と主体意識を
兼ね備える。

 


☆対象意識 
神の前における、対象としての、人間の平等
→父母のない兄弟は、ありえないし、
 兄弟を離れた父母もありえない。

 


◎現代の人々が、神を受け入れられるように、神の実在を合理的に証明することが
何よりも必要

 


万物に対して愛の心をもつ
→温情をもって万物を大切にすること。
=愛によって万物を扱い、治める。

 


統一思想は、
人間の本質は、心情または愛であるとして、
愛的人間(homo amans)を主張。

 


良心に従って生きるだけでは不十分。
人間は本心に従って生きなければならない。

 


良心は各自が善であると考えるものを指向しているので、善の基準も異なる。
本来の自己に向かっているかは保証できない。

 


神を基準とする本心に従って生きるとき、
初めて本来の人間に向かっていく。

 


不安の原因は、神の愛から離れたことによる。
神の心情を体恤して、不安から解放される。

 


死の不安は、死の意義に対する無知(永生について)と自己の未完成(意識的・無意識的)を感じるから。

 


#統一思想研究

本性論②

 

夫婦を生物学的に見ると、
簡単に結婚し、離婚する。
(神聖性や永遠性の喪失)

 


①夫婦はそれぞれ陽陰の代表
②夫婦となり、完成して初めて、人間は万物の主管主となる
③夫婦は、人類の半分(男女)をそれぞれ代表
④夫婦は、それぞれの家庭の半分を代表


夫婦の姿が本来的ではない。
夫婦が和愛によって調和をなす。
→世界の統一と直結する条件

 


本来、主管とは、
自分が造ったもの(自分のもの)を主管するのであって、他人が造ったもの(他人のもの)を勝手に主管することはできない。


 


自らの責任分担として、
自身を完成させたこと(宇宙を完成した価値)を条件に主管権を相続する。

 


性的関係を結んではいけない。

 


科学者は、
「自然を愛し、人間の価値を再考し、すべての人類が愛し合い、そして愛の根源としての神を探す」という前提のもとに、創造性をもつように願われている。

 


真の自由は、法則を守るところにある。
これは、自ら進んで守るということ。

 


法則を無視することは、
放縦であり、破壊をもたらす。

 


例えば、列車がレールを走ること(法則を守る)を考える。レール外を走ること(法則を無視)は、事故である。

 


列車は、レール上を早く走ったり、遅く走ったり、停まることもできる。(法則に則れば)

 


#統一思想研究

本性論①

 

利己的な考え方とは、
自分で考えたことはどんなことでも
やってもいいという考え方


人間は、本来みな神の子

 


堕落して神とは
関係のない存在となってしまったが、
神のみ言に従って生きて、
神の愛を受けるようになれば、
本来(の人間)の姿を取り戻すことができる。

(人格を完成した姿)

 


生心は、価値生活を追求する。
(愛を中心とした生活)
人を愛し、真美善の価値を追求。

 


倫理的・道徳的・芸術的生活
自己との闘い(断食・徹夜祈祷)

 


富や地位を求めるのは、物質生活

 


人間が人間の個性を尊く思い、
相互に尊重しなければならないのは、
神来性であるから。

 


人格の完成は、
神の心情(「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」)を体恤することによって、可能。

 


人格とは、自然に人や万物を愛したくなる。
愛さなければ心が苦しくなる。
持てる者は、持たざる者に与えるようになり、貧富の差や搾取などは自然に消滅する。


#統一思想研究

存在論

 

神は、「相似の法則」によって、創造をされた。

 

人間の本心は、

生心と肉心によって成されている。

 

生心は、

機能として、真善美と愛の価値を追求する。

 

肉心は、

機能として、衣食住や性の生活を追求する。

 

 

生心によって、肉心をコントロールできる。


瞑想などの訓練をよって、できるようになる。
念力や「バクスター効果」

(クリーブ・バクスター

 

 

科学者は、DNA(アデニン・グアニン・シトシン・チミンの4種類の塩基)を合成できる。

しかし、それは、生命の形状面においてだ。

 


神は、性相面、生命それ自体に由来する。

例として、ラジオをつくることができても、

音声は電波に乗ってやってくることに似ている。

 

 

陽陰において、形状だけでなく、質が異なる。

 

声楽の例を挙げると、

テノールとソプラノは、高音(陽)であるが、

バスとアルトは、低音(陰)であり、

互いに質的に異なっている。

 

陽性と陰性を通じて、調和と美を表す。

 

自然界は、調和的な授受作用をしている。

しかし、人間は、人間始祖の堕落によって、闘争(弁証法的な作用)している。

 

円環運動は、時間と空間があるため、できる。

 

神は、無形であって一定の姿はない。

その代わり、どのような姿でも現れる可能性として存在している。(無限形)


水が、様々な形になるように、波のように、風のように、炎のように。代表的には、球形。

 

自律性とは、他から強いられるのではなくて、

自ら進んで決定する能力。

 

原理の主管性とは、

周囲に対して影響を与える作用。

 

種としての差(種差)と個別相としての差がある。

 

個別相にも、環境によって変化する個別変相がある。(ルイセンコ メンデル・モルガン☓)

 

個体目的は、

生存を維持し、発展しようとする目的。

 

全体目的は、

全体の生存と発展に寄与しようとする目的。

(神のために生きる)

 

共産主義は、目的を否定する。

なぜなら、目的を認めると、目的を立てた理性があるを認めることになり、理性は神のもので、神を認めることになるから。

 

 

宇宙の法則は、

道徳(個人)や倫理(家庭)である。

 

社会や家庭において、

倫理法則に違反すれば、破壊と混乱が生じる。

 

混乱した社会を救うためには、

倫理法則を確立することが課題。

(不倫・離婚は、家庭を破壊する行為である。)

 

闘争によって発展はしていない。

人間は、自然界の弱肉強食の現象をもって、

闘争を正当化するが、

自然界で同種同士で殺し合うことはしていない。

 

秩序を立てるために闘うことはあるが、

殺人のようなものとは、本質的に異なる。

 

人間同士が奪い合い、殺し合うような行為は、

人間が堕落した結果、

その性質が自己中心的になったために生じた。

 

したがって、人間が本来の状態に帰れば、

人間社会の闘争は見られなくなる。

 

 

#統一思想研究